佐倉先生インタビュー

  • 2014-02-04 00:08:48
意外に不遇な(?)大学院時代

――まずは、大学時代からの研究生活について教えてください。

「大学時代は東大文学部心理学科の長谷川寿一さん――奥さんは長谷川真理子さんです――のもとで、ニホンザルの行動学を学びました。そして霊長類を本格的に学ぶなら、ということで京大の霊長類研究所(愛知県犬山市)の院へ。修士課程ではニホンザルの性行動を学び、博士課程ではギニアに行ってチンパンジーの社会行動の研究をしました。ぼくはもともと人間の言語に興味をもっていて、言語学を専攻することも考えたのですが、言語の起源の謎がよりみえてくるんじゃないかと思って、霊長類の研究を選んだんです」

――人間の場合、言語ってやはり意識と関係ありますよね? だとすると、人間の言語がサルの音声や身ぶりをも使ったコミュニケーションの延長だとすれば、人間の意識だってその元は霊長類に見いだせるってことになりませんか?

「自意識みたいなものは、チンパンジーやゴリラにもあるでしょうね。人間とまったく同じかはわかりませんが…。でも、そもそも人間だって生き物なんですから。500万年前まではチンパンジーの祖先と同じ存在で、いきなりボンと出てきたものではない。そこから徐々に徐々に進化してきたのですから、やはりどこかでつながってはいるでしょう」

――それで、ギニアの森の中で佐倉先生は「言語の起源の神秘」に触れることはできたんですか?

「その目標には到達しませんでしたね。ただ、これは発想自体が間違っていたというわけではない。実際、同じ方向で成果を出してる人もいますから。要するに、サルの音声の研究者にぼくが向いていなかった。アフリカに行ったのは楽しかったけど。マラリアで死にかけたりもしたけど(笑)」

――どの辺がサルの研究に向いてなかったんですか?

「ぼく、根が無精なんですよ。でもサルの研究って、すごくマメじゃないとできないんです。朝早くからチンパンジー追いかけて、鳴き声を膨大な量のテープに録音して、音声を解析して…。そういう根気がなかった(笑)。だから、大学院で発表しても先生方からボロクソ言われた。『佐倉はこれっぽっちのデータから、こんな大風呂敷ばかり広げて!』って。あれは、ハッピーではない日々でした(笑)」

『現代思想としての環境問題』で颯爽とデビュー!

――そんな不遇な院生時代をへて(笑)、ポスドク時代は?

「いっしょにアフリカに行った松沢哲郎さん――チンパンジーのアイちゃんの研究で有名な方です――のご紹介で、東京の町田にある三菱化学生命科学研究所の米本昌平さんのもとで研究しました。米本さんは医療倫理、生命倫理を日本でもっとも早くから研究されていた方ですが、彼も非常に変わった経歴で、京大の理学部を出て証券会社に勤め、でも証券マンをやりながら科学史学会で発表されたりしてた。それで三菱化学生命科学研究所ができるとき、創設者で分子生物学者の江上不二夫さんが、『これからは生命科学と社会の関係が大事になるから、実験だけではダメだ。そういう関係を考える専門の研究者を育てなければいけない』と言って、米本さんを招いたんです。卓見ですよね。ちなみに初代研究室長は、いまはJT生命誌研究館の館長をしていらっしゃる中村桂子さん。当時、米本さんは環境問題をやろうとしていて、生態学を学んだ人間を探していたんです。それでぼくは、ここで『環境倫理学』を研究しはじめた」

――環境問題の話と、それまで佐倉先生が学んできたサルの話は、どこでどう結びついたんですか?

「生態学や進化論を学んできた人間からすれば、当時の環境倫理学が言ってることって、あまりに当たり前に思えたんですよ。『人間も生き物だ』とか『生態系のバランスが大事だ』とか…。この分野は1940年代に生態学者アルド・レオポルトが言っていたことから進歩がなかった。ぼくとしては『レオポルトの言ってることは確かに正しいけど、ずっと同じことを言い続けなければならない生態学者ってなんなんだろう?』と考え込んでしまって。そしてその頃、倫理学者の川本隆史さんのご紹介で「現代思想」の環境問題特集号にぼくの論文がのり、それを読んだ中公新書の早川幸彦さんという編集者が電話をしてきて『あの視点で、新書を書かないか?』と言われたんです。当時は信じられなかったですねぇ。大学院でたばっかりの若造でしたからねぇ」

――それが処女作の『現代思想としての環境問題』ですね。この本のポイントは「遺伝子とミーム(文化遺伝子)の対立が環境問題である」ということと思いますが、それって形は違えど、たとえば養老猛司さんが近年、『考えるヒト』以降展開されている「脳と遺伝子」の話とも根っこはいっしょですよね?

「そうですね。というか、この枠組み自体はきわめて古典的なものなんですよ。昔から哲学者は『文化と自然は違う』と言ってるわけ。ヒューマニズムとナチュラリズムは、あるいはカルチャーとネイチャーは対立する、と。ルソーが『自然に帰れ』と言ったのも、近代へのアンチテーゼですし。そういう意味で、中公新書のぼくの本の最大の欠点は、自分で『二項対立はいかん』と言っておきながら、ネイチャーとカルチャーでいろんな事を説明してるところなんですが(笑)、ただ、そこにミームと遺伝子という進化生物学な道具を使って、この古典的な枠組みを裏付けた、というところには意義があったし、養老さんの場合はそれを脳科学の知見を使って行ったということでしょうね」

――「情報」という概念を佐倉先生が用いるようになったのはこの頃から?

「『ミーム』という言葉を発明したリチャード・ドーキンス自身は、『情報』という言葉はあまり使っていないんです。でも遺伝子だって物質が保存されるわけでなく、『遺伝情報』が保存されるわけだし、ミームも『情報』だし。そこで『情報』という形でくくってみると、文化も生命の進化も、コンピュータのプログラムも、全部同じ自己複製システムとしてみられるのではないか。『情報』というくくりでみることで、これまで対立関係にあるとされた文化と自然に――もちろん対立する部分は依然残るけど――同じ性質も見いだすことができるんじゃないか、と考えたんです」

教職へ。そして情報学環へ

――三菱化成生命科学研究所で3年間の在任期間を終え、横国大の助教授に就任されたわけですが。横国大で何やってたんですか?

「何やってたんですかって、あぁた、失礼な(笑)」

――だって、いきなり「経営学部」ですよ~。

「これも不思議なご縁で。ポスドク2年目になっても行き先が見つからなくて、しかもその頃は結婚して子供もいたから、本気で路頭に迷うかと思った。でも2年目の秋に中公新書がでて、それを見た横国の先生からお呼びがかかったんです」

――どんな講義をしていたんですか?

「人間行動学と環境行動学だから、今とそれほどは変わりませんよ。横国の経営学部では、企業で環境戦略や環境マネジメント、環境計画などを考える人材も育てようとしていて、“動物生態学ができて文系に転んでて若くてプラプラしてる奴”を探したら、ぼくしかいなかったみたい(笑)」

――“縁の部分”にいると、いいこともあるんですね~。

「そうそうそう。“縁の部分”にいてうまくはまるとね! そういう意味で、ぼくが所属していた学科は、植物生態学や社会心理学など経営の縁の部分を研究されている先生方が多くて、楽しかったですよ。講義では複雑系や人工生命などもやりました」

――人工生命にはいつから興味があったんですか?

「三菱化成時代からです。環境問題が論じられる際、人間の人工物の話が全然出てこないのにすごく不満を感じてね。ぼくは東京生まれの東京育ちだったので、『自然を守れ』だけでなく『都会を守れ』というのも大事だと思ったんです。『都会を守れ』っていうのはヘンな言い方だけど、都会の中で人が快適な環境を作るという意味での『環境問題』だって、あっていいんじゃないかと。でも、そういう観点はまったくない。いきなり自然対人間という対立図式で考えるのではなく、何か媒介項がないものか? サル学のおもしろさって、サルを人間と自然の間と考えることで、人間と自然の橋渡しができるところなんですよ。だから環境問題でも、何か人間と自然の橋渡しがないものかと考え、池上高志さんや星野力さん、徳永幸彦さんらと人工生命研究会を立ち上げたりしました。もっとも、そういう意味ではぼくはいまだ消化できていないテーマですね」

――佐倉先生は、昔から、そういう異なる分野を「つなげる」ことに興味があったんですか?

「そうですね。なんでかは自分でもわからないけど」

――でも、そういう「つなげる」研究って、基本的に“ちゃんとした学問”の世界では居心地悪くありません?

「そう、基本的に大学院っていうのは『つなげる』ことを研究する場所でなく、徒弟制度の中で『ここの部分をしっかりやりなさい』とたたきこむ場所ですから、最初言ったように大学院時代はすごく居心地悪かったです(笑)。大風呂敷ばかり広げて、と言われ続けましたもん。そういう意味で、情報学環は特殊な場所ですね」

――では、情報学環に来た理由も、単にITなどの発展によって「情報に興味があった」というわけでは決してなくって……。

「違う分野をつなげるのには、やはり接着剤や翻訳装置が必要だと思うんです。ぼくは、それに『情報』や『進化』という概念が役にたつと考えている。だから『情報とは何か』とつきつめること以上に、『情報』を共通のものさしとして使うことに興味があります」

――あとで詳しく話していただきますが、先生の近著『進化論という考えかた』の前半部分は、分子生物学と情報科学の発展で、進化論が生命だけでなく人工物に、さらには人間の心理や行動にも適応できるようになってきた、という話ですものね。

情報学環という場所、そしてふたつのプロジェクト

――2年前に赴任された、ここ情報学環・学際情報学府という場所については、どうお考えですか? 佐倉先生はこの新しい組織の基幹スタッフなわけですが。

「うまく機能すれば非常におもしろい場です。ただ、うまく機能するためには、他学部の教官たちが、自ら望んでここに来てくれないと。もとの組織ではできないようなプロジェクトを、異分野の人たちと交流しながら実現したい、という意図をもって来てくださらないと。そういう意味では、教官の定員も任期も決めず、そして東大だけでなく学外の研究者も参加できる組織にすべきだと思います。
 さらに決定的に問題なのは、ここが教育の場でもある、という点。というのも、好きな人が来て好きな研究をやっていくことと、学生を育てるというのは、根本的に二律背反なんです。育てるというのは、同じことを蓄積してルーティン化していくということだから。やはり研究者は、若いうちは専門分野で訓練をつまないといけません。だからすでにどこかで研究実績を積んできた学生さんや、社会人として自分のものを持っていて、それを拡張したいと思う学生さんには、人材もそろっているし非常によい組織だと思うけど、そうでない人には辛いじゃないでしょうか」

――では「分野の越境」に関しては、どうお考えですか?

「今までの話と関連してきますが、最初から『越境』するのは基本的には困難ですよ。ぼくはここで『越境のスペシャリスト』を育てたいと考えていますが、やはりその前提として、研究者とか社会人として最低限のバックボーンがなければ、学際とか越境というのは成立しないんじゃないでしょうか」

――そういう意味では、佐倉先生ご自身の「バックボーン」って何になるんですか?

「ぼくはまがりなりにも霊長類学とか行動生態学とかの専門的なトレーニングを受けて、論文もいくつか書いて理学博士もとっているわけですから。霊長類学者としては大成しなかったけど、やっぱりバックボーンには進化生物学があるんです。だからここの学生さんに、そうしたバックボーンをどうやって獲得してもらうかは、大きな課題でしょうね」

――現在、佐倉先生が関わっているプロジェクトについて説明してください。

「主にふたつあって、ひとつは『サイポップ SciPop』。科学普及の方法論の開発プロジェクトです。これまでも、科学ジャーナリズムや科学博物館の展示など、個別のノウハウの研究はなされているんですが、ここではそれらを統括しようとしています。山内祐平さんは教育工学の専門家ですから、わかりやすく見せるノウハウをもっている。そして『その見せ方だと、なぜ理論や枠組みを理解しやすいのか?』という部分は認知科学が専門の植田一博さんが担当する。お台場の日本科学未来館の三石祥子さんは現場でサイエンスコミュニケーションを実践されている。ぼくは全体の統括をしています」

――根源的な質問ですが、なぜ科学を専門家以外の、もっと多くの人びとに普及させるべきと考えますか?

「1960年生まれで高度成長期、科学技術万々歳の時代に育ったからというのもあるんでしょうが、ぼくはもともと科学少年だったし、今でも科学の考え方が好きなんです。もちろん問題は多くあるけど、それでもイデオロギーを超えた普遍性や客観性という面で、科学は人類が開発してきた知識の獲得方法として、もっともすぐれたやり方だと考えています。その方法を、できるだけ多くの人に共有してほしいし、科学によって獲得される世界観とか人間観を知らないまま過ごしてしまうのはもったいないと。押し付けがましいかもしれないけど、だから根底は『ホラホラ、おもしろいでしょ?』という感じですね(笑)。あとね、今の世の中、医療にしても食品にしても、やっぱり科学技術についてのリテラシーがないと、個々人が生きていけないと思う。自分の生活を守る、安全保障としての科学リテラシーが必要なんじゃないでしょうか」

――もうひとつのプロジェクトは?

「GEEプロジェクトといって、遺伝・倫理・進化を考える研究会です。安藤寿康さん、森岡正博さん、松原洋子さんたちと進めています」

進化論という考えかた(1)~私たちはどこから来てどこへ行くのか~

――さっきちょっと触れましたが、この3月に、佐倉先生は『進化論という考えかた』という本を出されました。でも最近は“ちょっとインテリ”な人は「ダーウィンってもう終わってるんでしょ?」とか言いますよね。

「いっぱい出てるからね~。『ダーウィンは間違えてる!』みたいな本が」

――そんな逆風(?)の中、進化論の本を出されたわけは?

「そもそもダーウィンが否定されたっていうのが誤解なんです。もちろんダーウィンも19世紀の人だから、遺伝の仕組みもわかってなかったし、確かにいろいろ間違いもあるのですが、基本的な枠組みは今も正しいんですよ。無方向の変異が生じて、その中から環境に適応できたものがたくさん子孫を残して増えていく自然選択の仕組みっていうのは、事実(ファクト)とみなしていいぐらい確立しているんですよね。たしかに、自然選択が種内の進化、『小進化』に重要ということはわかったけど、『大進化』にどの程度機能しているか、という点ではまだ未知数のところがある。でも、それはダーウィンが否定されたことを意味するわけではない。もちろん、今の進化論はダーウィンの説にその後の遺伝学とか分子生物学とかがくっついて拡張されたものですが、無方向の突然変異とその後に続く選択淘汰が重要だというのは、まちがいないです」

――念のため確認しておくと、現在の進化論業界では、進化の要因を自然選択の積み重ねとする「ドーキンス派」と、それをシステム的な見方で解明しようとする「グールド派」の二大派閥があって、両者の抗争が激化しています。こうした二大陣営がある中で、この本のタイトルみたくシンプルに「進化論」と言われたら、逆に混乱する人もいると思うのですが。

「ぼくは基本的に、ドーキンス的な見方はグールドらのシステム的な見方と矛盾しないと考えています。ドーキンスの『利己的な遺伝子』説は、比喩はすごくうまいけど中身は彼のオリジナルではなく、ハミルトンやメイナード・スミスの説をもとにしたものなんですが、ハミルトンやメイナード・スミスの本を読めばわかりますけど、それはシステム的な見方となんら矛盾するものではない。『ダーウィン・ウォーズ』を読むと激しく対立しているように思うでしょうが、お互いにひっこみがつかなくなっている部分もあるんじゃないかなあ(笑)。まあ、あれはそういうふうにあおった書きかたをしているんだろうけど」

――今後、さらにゲノムの研究が進めば、両陣営を包括できる説明も見つかる可能性もあるんじゃないでしょうか?

「特に現在、議論が分かれているのは突然変異がおこるメカニズムや発生学と進化との関係ですね。この辺があきらかになってくると、いろいろ見えてくるでしょうね」

――では本題へ。ぼくたちがこの時代・この社会で「進化論」を学ぶことの意義についてですが、この本であげられたポイントは大きく分けて二つあると思います。ひとつは、進化論を学ぶことで人間が、自然――先生は「システム」という言い方もしていますが――との関係を考え直すきっかけとしての進化論。もっと言えば、ぼくらの日常を超えた「大きな世界」「遠い世界」に思いをはせるための進化論。そしてもうひとつは、人間が、科学の関係を考え直すきっかけとしての進化論。

「そうですね」

――まず第一の「大きな世界とのつながり」ですが。35億年前、海の中に最初の生命が生まれ、そこからいろんな枝分かれがあって、現在いる多様な生命も存在し、その「末端のひとつ」にぼくらも今、存在する。その感覚を大事にすることで、時間的にも空間的にも「遠い世界」にまで思いをはせ、「大きな世界」の中に存在する自分を確認できる…。やっぱり人間って根源的に「システム」や「遠い世界」とのつながりを求める生き物なんでしょうかね? かつては神話や宗教が、それを説明する装置でしたが、「科学の時代」になってもそれは変わらない、と。

「人間って、いつの時代でも『ぼくはなぜここにいるのだろう?』とか『私たちはどこから来てどこへ行くのか?』ということをわかりたいと思うんです。たんに安心のためかもしれないんですけどね。そしてぼくは、現代でもっともその疑問に答えてくれるのが科学だと考えています。なかでも進化論は、ばらばらのまま増えていく科学の情報をつなぎあわせ、自分なりの意味づけを可能にする。つまり科学に物語を取り戻し、大きな世界観を作りだすきっかけになるんじゃないかと」

――ただ、たとえば「地球の歴史は50億年」と言われた時、それは途方もなく長い時間である一方、それまで無垢に信じていた「永遠」を否定されてしまった寂しさもどこかであるような気もしません?

「今の質問に対する直接的な答えになってるかわからないけど、日本って今すごく豊かじゃないですか。豊かになる前は、豊かにさえなればハッピーと思っていたけど、実際になってみれば、その豊かさを維持するためにやらなきゃいけないことがいっぱいあって、かえって閉塞感が増している面がある。日本だけでなく、先進国はどこも似たような状況でしょう。これが今の科学の話にも関係あるんじゃないかな。つまり、新たに科学でわかった知見の中には、新たな『センス・オブ・ワンダーの種』があるはずなのに、人びとは科学の知見によって世界が広がったと感じられない。そして一部の科学者の間では『こんなに新たな世界を見つけているのに、社会からは美や官能を破壊している、と言われるのはなぜだ』との苛立ちの声があがる。さらに『科学ジャーナリスムが正しく機能してないからだ』とか『教育がなってないからだ』とかの議論になっている。でも、そういうレベルの問題だけではないと思う。だから、日常の中でおおいをかけられちゃってる『センス・オブ・ワンダーを感じ取るセンサー』を引っ張り出す仕掛けを作りたいんです」

――さっきの「サイ・ポップ」プロジェクトとも、根っこではつながっていますね。

「そうですね。その『センサー』がなんなのか、具体的にはまだぼくも説明できません。ただ『啓蒙―enlight―』っていう考えかたや方法ではないでしょうね。お前ら暗いからこっちが明るくしてやる、というものじゃない」

――ダーウィンは『種の起源』をこんな文章で締めています。「かくも単純な発端からきわめて驚嘆すべき無限の形態が生じ、今も生じつつあるというこの見方の中には、壮大なものがある」…この文章からだけでもわかるように、進化論は、単純な仕組みから複雑なシステムがどうやって生まれたかを考えることで、確かに「ひとつの説明」なんだけど、その中にすごい多様性を内包している。そこがおもしろいところかな、と。

「でもそれは進化論に限った話ではなく、たとえば理論物理学の『超ひも理論』など、近年の科学はそういう側面をもっていますよ。ただ、進化論はその流れに“直接”人間自身がのっかっていることもあり、特に自分自身の存在と関連づけやすいと思うんです」

進化論という考え方(2)~ゲノム科学とどう向き合うか?~

――“直接”人間に関係があるという意味で、第二の「人間と科学の関係」を考え直すきっかけとしての進化論ですが。思えば進化論自体、ずいぶんと曲解されて、時の権力者に都合のいいように解釈されてきましたよね。そういう面では功罪がすごくある。

「ドイツにはヘッケルが進化論を導入したわけですが、ドイツのダーウィニズムはダーウィンの本国イギリスとは違う形になり、ナチズムの人種政策の裏づけにも使われました。アメリカではスペンサーの社会進化論が、フォードらの産業資本独占を肯定するための材料になった。また日本では、東大初代総長の加藤弘之が自由民権運動を弾圧するために進化論を使った。明治政府は強いから生き残ったのであり、そして国際的な自然淘汰の中で生き残るためには国がひとつに固まっていないといけない、と。おもしろいのは、その一方で民権運動側はさっきのスペンサーの進化論を導入して、こっちは言論の自由を肯定する裏づけに使った」

――今後、特に遺伝子研究に関して「科学の功罪」がますます激しく論じられると思うのですが。

「やはり遺伝子に関する話は、人間に直接関係してきますから。そういう意味で、進化論はニュートン力学やアインシュタイン相対性理論とくらべてはるかに、その時代、その社会でいろいろな解釈がなされてきた。だからこれまで、進化論がどういうふうに受け止められ、扱われてきたかは、大事な事例になるでしょうね」

――まとめ的になりますが、今後急速に発展するであろうゲノム科学や脳科学は、「大きな世界」「遠い世界」を人間にもたらしてくれる一方で、テクノロジーとして、今までとは段違いなレベルで「人間そのもの」への操作・介入をしてくるはずです。これから展開される科学っていうのは、今までの科学とはフェーズがまったく異なるんでしょうか? それともやっぱり、今までの延長なんでしょうか?

「それはすごく大事な問題です。でも正しい見極めは今の時点ではできないと思う。ただ、ぼくは基本的には変わっていないと考えます。というのは、あまりに多くの人が『今までとはフェーズが変わった』『今までの考え方はもう役に立たない』みたいな言い方をするんで、それに反発を感じるからなんだけど(笑)。確かにゲノム審査によって差別が起きることはあるでしょう。でも、今までも結婚前に興信所で相手の家系調べて、みたいなことはよく行われていたわけですよ。確かにゲノム科学や技術によって、審査の道具がより精密になり、破壊力は増すけど、それを使う人間のもとの発想や欲望は、そう簡単には変わらないはずです。ぼくは、その部分が大事だと思う。グローバリゼーションと呼ばれるように経済・社会のシステムが変わっていく中で、格段にパワーアップした科学技術がどうふるまうか、というのはまだわかりません。でも、ぼくたちは今までもっている思考の部品をつなぎあわせて考えていく、それしかできないんです」

――その可能性を放棄しちゃいかん、ということですね。ぼくたちが進化論から学ぶことは、こういう時代だからこそ非常に大きい、と。では最後の質問です。どんな学生さんに、この研究室に入ってきてほしいですか?

「明るくてまじめでユーモアがあって、よく勉強する学生!」

――明快ですねえ~。

「でも結局そういうことです(笑)」

2002/5/10  text by Atsuo Matsumaru
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