ベルツの日記、再訪

  • 2008-07-16 02:00:00
駒場の授業の帰りしな、図書館で『ベルツの日記』の英語版 (Awakening Japan: The Diary of a German Doctor: Erwin Baelz. Bloomington, IN.: Indiana Univ. Press, 1974) を借りてきました。ベルツさんは、言わずとしれた、明治時代に東大で教えていたお雇い外国人教師のひとり。東大医学部で26年間に渡って教育にたずさわり、まさに日本の近代医学教育の元祖といっていい人です。東大本郷キャンパスの三四郎池近くには、ベルツと、同じく医学教育に多大な貢献をしたスクリバさんの胸像が仲良く並んで建っています。『ベルツの日記』は日本語版が岩波文庫から出ています。日本人の夫人との間に生まれた息子、トク・ベルツが編集したものです。

なんで英語版が欲しかったかというと、ベルツの有名な演説の一節──「日本人は科学の成果を輸入することには熱心だが、それで事足れりとして、科学精神の根っこを植え付けようとしない」──を、英語のスライドにしようと思ったからです。正確には、今までは、あるところで入手した英語版(おそらく日本語版からの反訳)を修正して使っていたのですが、どうも言い回しなどがしっくりこないので、ここはやはりネイティブの表現に頼るべし、と思ったからです。さすがに、かっこいいっすね。ちゃんと演説っぽくなっているもん。ベルツさんの滞日25周年祝賀会での答礼演説の一部です。

この一節、今でも科学と社会の関係について論じるときに、しばしば引用されます。日本の科学関係者、教育関係者は非常に好きなフレーズのようです。だけど、ぼくは賛成しません。だって、文化システムや精神の根っこを移植するなんてことは、できないですよ。日本は、科学の成果だけを移入したから、こんなに短期間に近代化に成功したんじゃやないでしょうかね。そして、日本のこのやり方は、世界中の非西洋文化圏の国々が西洋近代の科学技術を移入する際に、お手本となる部分があると思っています。明治以来の日本の科学移入の「コツ」を伝授することは、日本の国際貢献のひとつになるんじゃないでしょうか。美術や音楽も同じかもしれません。

ベルツの発想は、近代化するには西洋化しか道がないと思っている西洋至上主義だと思います。19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツ出身ですから、彼がそう考えるのは当然ですが、100年以上経った今の日本で、ぼくらがそれをありがたがる必要もない。日本の近代化や西洋科学輸入の過程の、どこが良くてどこがダメだったのか、もっと冷静かつ客観的に把握するべきだと思います。そうしないと、これからの時代に必要な科学教育や科学リテラシーのイメージが、うまく描けない。何ごとも、温故知新は大事です。
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