研究紹介:【人と機械のよい関係】ー「義足」探訪(2)

  • 2012-07-18 01:41:42
詳しくは次の投稿で、と書いてから二週間が過ぎてしまいました。

遅筆、大変失礼致しました。

さて、本郷の義肢足製作所についてです。

白山、湯島、本郷地区には、調べた限り義肢足製作所が8件ありますが、今回お伺いしたのは、日本義手足製作株式会社
創業は大正7年、94年の歴史を誇る長寿企業です。
鈴木貞夫社長に、日本の義手足製作の歴史と、会社の歴史について、お話を伺いました。

軍から福祉へ

日本義手足製作株式会社の歴史は、社長の曾祖父にあたる鈴木祐一氏にはじまります。幼い頃に病気で切断し、義足利用者であった祐一氏は、日清戦争での傷痍軍人を慰問し、励ます活動を行なっていました。その縁で、戦後、義足を製作する会社を設立する計画に誘われ取締役に就任しました。本店は銀座、本郷には分店と工場が設けられました。しかし、創業から5年後の大正12年、関東大震災に見舞われ銀座本店は焼失。以後、本郷を本店として営業を続けてきました。

会社が創業された大正7年は、第一次世界大戦直後です。会社は陸軍省の管轄にあり、主な顧客は傷痍軍人でした。当時の義肢足は、戦争の道具のひとつだったと言えるかもしれません。ちなみに、社長のお祖父様の鈴木邦夫氏は、昭和15年に陸軍省より感状行賞を受けられています。しかし、第二次世界大戦終結から4年後の昭和24年、身体障害者福祉法が制定されたことで、義足の位置付けは変化しました。「軍」から「福祉」への領域転換です。

福祉用具・医療器具として

「軍」から「福祉」への領域転換を最も象徴するのは、昭和63年に施行された「義肢装具士法」と言えるでしょう。これは、義肢装具の製作を義肢装具士の資格を持つ者に限定すると同時に、製作にあたっては医師の処方と治療計画に従うことを定めたものです。義肢装具の医療化がはかられたわけです。この法に従い、会社の職人達も、義肢装具士資格を保有することとなりました。

現在、義足を含む義肢装具は一般に、「医療用装具」または「福祉用具」として、関連する法律・規則の管轄下にあります。義足であれば、切断をされた直後は「医療用装具」として医療保険制度の中で提供され、障害者手帳給付後は、身体障害者福祉法に基づき「福祉用具」として自治体から支給されます。ですから国の医療・福祉政策の変化は、義肢装具の製作現場にも大きな影響を与えます。鈴木社長は、近年度重なる国の方向転換に「どうなることやら」との心境を漏らされました。

鉄からカーボンへ

さて、義足を足にぴたりと合わせるための大切な作業に型取りがあります。義足の装着部にあたる「ソケット」を作るための最初の作業で、石工で身体の型を取るのです。しかし、鈴木社長によれば、昔は目で見て鉄を打つだけで、身体にぴたりと合うものを作ることのできる職人さんがいたのだそうです。今ではソケット部の素材はプラスチックが主流。さらに、たとえばピストリウス選手のようなスポーツ選手の用いる義足は炭素繊維を素材としています。これらは石膏型がなければ作れません。素材の変化と共に、求められる技術も変わってきました。寂しい一方で、新しい素材によって軽量化が進んだ事で、義足の可能性が広がり、ピストリウス選手の活躍を生んでいるのも事実です。

見る目を育てなければ

しかし、鈴木社長によれば、作り手の技術に変化をもたらしているのは素材だけではなさそうです。現在、世界の義足のパーツのほとんどは、世界の二つの企業及びその傘下の企業から供給されているのだそうです。国内の製作会社は、それらを組み合わせて義足を作る、社長曰く「組み立て屋さんになっちゃった」とのこと。義肢装具士は「調整役ですね」との言葉は、義足作りが、利用者と医師とパーツとの間を調整することで行なわれるようになっていることを指していると思われます。

こうした変化の中、社長が今必要と感じられていることは、「義足を見る目」なのだそうです。単純に「最先端」であることを判断基準にするのではなく、何が良い義足なのかを「見る目」を使う側に持ってほしい。これは、言い換えれば、「良さの判断基準を共有してほしい」ということではないでしょうか。もしかするとサイエンス・コミュニケーターと共通する悩みをお持ちなのでは、と思った一瞬でした。

iPadと木槌と

二階の応接室でお話をうかがった後、一階の工場を見学させて頂きました。従業員23名の内10名は営業担当とのことで、その日は、二部屋に分かれた工場をざっとみた限り、8名が様々な行程の作業にとりくんでおられました。実は、同社で製作する義肢装具の7割はコルセットなのだそうですが(こちらでも定評があるそう)、義足の製作も進行中でした。

製作の合間に義肢装具士の方に、iPadで管理している説明資料を見せて頂きました。医師への説明の工夫や、子どもにはかわいい義足の写真が受けるとのことなどを伺いながら、気になったのはiPadの隣で存在感を放つ年季の入った道具達。聞けば、鈴木社長よりも古い木槌まであるとのこと。歴史と新しさとが共存する空間でした。

次の代は社長のご子息が継承されることが決まっているそうです。100年企業まであと6年。その歴史はほとんどそのまま日本の義足の歴史でもあります。
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